タクシー
金曜の夜、渉は愛車のレビンを赤城まで走らせていた。

理由はひとつ。

会いたい人が居る。

「会えるとも限らねぇんだけどな」

自嘲気味に独り言をつぶやく。

赤城山は標高が高い。冬になれば、他の山より先に白い壁に覆われてしまう。

走る場所を失った走り屋たちは、その間に愛車への軍資金をつくったり、他の峠へ挨拶周りを兼ねて遠征してみたりする。

幸運なことに、まだ完全な冬は来ていなかった。

渉が峠を登り始めると、何台か車とすれ違った。

この峠の走り屋たちだろうか。以前から赤城の走り屋はレベルが高いと聞いていたが、渉がバトルしたいと思う相手は居ないような気がしていた。もうどんな相手にも負ける気はしない。
あの、秋名のハチロクにさえも。
そう思っていたが、その予想はみごとに外れた。
ハチロクのことではない。

もうすぐ駐車場だと思ったそのとき、人影がこちらに近づいてきた。

そのままぶつかると思って、渉は慌ててブレーキを踏んだ。

「おい!危ねぇぞ!こんなトコ走ってんじゃね・・・」

―――あ。
レビンのヘッドライトで照らされた中に浮かび上がったのは―――

――――高橋啓介。

こんなに都合よく会えるとは。
思いがけない出来事に渉がぼんやりしていると、啓介がいきなりレビンに貼りついてきた。

「お前!ナビに乗せろ!」
「・・・・・・は?」
「緊急事態だ!」
啓介は渉の返事を待たずにナビシートに乗り込んできた。

「おい!いきなり何だよ」
「いいから!早く出せ!」
その時、スキール音が聞こえてきた。かなり近くに居るようだ。

「やっべ…急いでくれよ!」

渉は啓介の勢いに負けて、言うとおりにアクセルを踏む。
スキール音が聞こえてきたのは上から。渉は必然的に今来た道を下ることになる。
状況はを良く把握できていないが、啓介の口から出た言葉に慌てぶりからして、何かあるのだろう。
そのときの渉には、あの音を鳴らしていた車に誰が乗っているかなんて予想もつかなかった。

「もっと速く走れねぇの?このままじゃ追いつかれそうだぜ」
、渉は頭のどこかでプチッと何かが切れた気がした。
「てめぇ!ワケもわかんねぇまま車出せだの、速く走れだの言われたら堪ったもんじゃねぇよ!ひとが言うこときいてりゃいい気になりやがって・・・」
渉は怒鳴りながらアクセルを踏んでいた。走り屋としてのプライドをかけて本気で峠を下る。
ライバルになるかもしれないという男にそんなこと言われたら性格上、本気を見せるしかなく。

しばらく車内には沈黙が続いた。
すると、渉の走りを見ていた啓介がボソっと呟いた。
「お前、速ぇな」
渉は、啓介のその一言で舞い上がるほど嬉しくなった自分が居ることに気づいた。

ちらりと横目で啓介を盗み見ると、やけに楽しそうだった。
もうスキール音は聞こえない。スピードを緩めて運転をすることにした。

渉は啓介に尋ねた。
「今日はあのド派手なFDはどうしたんだ?」
そういうと、啓介は突然ふくれっ面を作って、ナビシートからズリ落ちそうなくらい沈んでいった。
「・・・上に置いてきた」
渉は暫く何があったのかを思案し、訊こうと思ったが、やめることにした。他人事に首を突っ込むといつも面倒なことになってしまう。自分では認めたくないが、妹が言うには自分はお人好し過ぎる性格のせいで痛い目を見ているのだそうだ。
視界に小さな広場が入ってきた。ベンチやテーブルが置いてあり、その奥には街を見下ろすことの出来る場所がある。
「・・・少し、休むか」
渉は端に寄せ、車のエンジンを止めた。

不意に視線を感じた。ナビシートの啓介がじっと渉を見ている。
「な、なんだよ・・・」
啓介は顔を近づけて言った。

「あんた、誰?」
思いがけない発言に渉は口をあんぐりあけたまま啓介を見た。
「お前・・・知らないやつのナビに乗り込んで来たっていうのか・・・」
呆れたと同時に、寂しい気がした。確かに、この男とは最初に群馬に来た頃に一回会っただけで、しかもバトルを断られていた。強引にバトルに持っていこうとしたが、思わぬ邪魔が入りそれも叶わなかった。

「お前・・・本当に覚えてないのか?」
啓介は渉から目をそらして言った。

「うそだよ」
啓介は目を伏せて、笑って言った。

「ちゃんと覚えてるって。熊谷ナンバーのハチロクター」
『ボ』

啓介が言おうとしたとき、目の前に陰が被さる感覚を覚えて目を開けた。渉が息がかかるくらいに顔を近づけてきていた。

「な、なんだよ・・・」
「お前なぁ、俺の気持ち知って言ってるか?俺は、お前に会うためにわざわざこんな山奥まで来たんだぜ?お前と会ってからずっと気なっちまって、どんなヤツとバトルしたって面白くねぇ。俺は、お前と一発ヤんなきゃ欲求不満でどーしよーもないんだよ!」
渉は一気に言って、じっと啓介の顔を見ている。啓介は渉の勢いに押されてポカンと渉の顔を見ていた。
少しして、渉は目の前に在る顔にハッとした。

キレの長い目、それを隠すような長い睫、形のいい唇。

「お前、キレイな顔してんな」
ボソリと渉が呟いいてしまった言葉は当然、目の前の啓介にも聞こえるはずで・・・。

「あはははっ!」
啓介は突然腹を抱えて大笑いした。
身体を屈めたときに啓介の髪が渉の頬を掠めたことにも、
そのときイイ匂いがして渉がドギマギしていることにも気づかずに笑っている。

「お前面白れぇなぁ!」
今度は渉がポカンとする番だった。
渉の言葉が相当ツボに入ったのか、笑いすぎて目じりに浮かんだ涙を拭いながら言った。
「いいよ」
「あ?」

「お前気に入った。バトルしようぜ」

ニヤリと楽しそうに、そして挑戦的に笑う啓介の顔には迫力があった。
女も男も、美人とは何をさせても目を惹きつけて離さないものなのだろう。この目の前の男のように。
「お、おうよ」
「でも、今日はダメだ。そうだなー・・・」
啓介は窓の外に目をやりながら何やら考え込んだ様子を見せてから、振り返って渉に至極真っ直ぐな瞳を向けて言った。

「雪が、溶けたら」

「雪が・・・?まだ降ってもないのに遠随分と遠い話だな」
「ん?そうか?冬が過ぎるのなんて意外と早いもんだぜ」
啓介はそう言って気持ちよさそうに伸びをした。
その様子を見て渉もシートに身を預け、ふ、と微笑んで笑った。
「ま、楽しみを春にとって置くのも悪くないな」

「ぶっ・・・はははっ」
啓介がまた思い出したように笑い始める。
「な、なんだよ。何が可笑しいんだよ」
だって、お前・・・『一発ヤらせろ』とか『欲求不満』なんて言うから」
啓介はクツクツと笑いを堪えているようだ。
「あー・・・」

「俺とSEXしたいって言い出すのかと思っちまったぜ」

渉は啓介をじっと見ながら言った。

「”そっちも”って言ったらどーする?」
  啓介は、は、と笑うのを止めて渉の方を向く。
そして、少し口に手をやって考えてから、今度は挑発的にニヤリと笑って言った。

「”そっち”も 雪が溶けたら考えてやるよ」



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