目を覚ましたとき、空気がやけに冷たかった。
カーテンを開けると目の前には重たげに雲が広がっていた。
その日、雪が降っていた。
滅多に雪が積もることがなく、ちょっとした気象の変化にも弱い都心では
案の定、朝から交通ダイヤが乱れていた。
母親に早めに家を出るようにと促されたもの、寒いと何をするのにも身体を動かすのが億劫に思えてなかなか動けない。それでもなんとか支度をしてみたが、結局普段学校に行くよりも遅い時間に家を出ることになった。
駅では8分の遅れが繰り返しアナウンスされていたが、もうすでに遅刻することが決まっていた充にとって、教室に入るのが今更何分遅れようが気にはならなかった。
ドアを開けても、教室には4・5人の姿しかなかった。
充に気付いて茶色いクセの強そうな髪の男が近付いてくる。
いつも何かと一緒に居る坂口だ。
こんな日でも彼の髪はうまい具合にセットされている。いわゆる無造作ヘアというやつらしく、彼がそのために何十分も鏡に向かっていることを充は知っていた。
『それ、無造作って言わねぇよ。計算してんじゃん、お前』
いつだったか、充は坂口に言い放った。
すると彼は
『何も努力しないでかっこよくキメようなんて都合良すぎるんだよ』
そう言って笑っていた。
「お前もバカだなー。こんな日に学校来るなんてな」
坂口はニカッと笑う。
「普通来ないだろ。この雪で」
「…人のこと言えんのかよ」
充は自分の席にバッグを下ろしながら言う。
「ま、お前も俺もモノ好きだってことだ」
充は坂口の言葉を聞き流しながら改めて教室を見回した。
席に座って本を読んでいるものが2人、ストーブの周りで話をしているのが3人いるだけだった。
「授業はないぜ。休校」
坂口は横から言う。
多分担任も来てない、と彼はぼやいている。
雪の中、重い気分を背負いながら歩いてきたのは一体なんだったのだろうか。
充の中で今日はツイてない日に決定した。
「久しぶりの登校日だったのにな」
ボソリと充は呟いた。
坂口は近くにあった椅子に座り、充にも隣の椅子を蹴って座るように促した。
充も坂口も高3で受験生だ。
しかも今は2月。ここ2週間、”自宅学習期間”で学校は休みになっていた。
今日は登校日だったが来てないクラスメイト、約30人は雪を理由に自主休講にしたのだろう。この大切な時期に風邪など引いたらそれこそ”バカ”を見ることになりかねない。
充は今日という日だけ、やけに生真面目なっていた自分に大きな溜め息をついた。
それを見た坂口がまたさっきのように笑う。
「でもお前は来るような気がしたんだよな」
「なにそれ」
2週間何をしていたのか、と尋ね合うが、
試験間近の受験生に格別楽しかった日等あるはずがなく、すぐに会話は途切れた。
二人で窓の外に目をやる。さっきより大きくなった雪の白が重たげに落ちていく。
教室にボソボソと話し声が響く程の静けさの中で、ストーブの炊かれる音がやけに大きく聞こえた。
「あのさぁ」
坂口がぼそっと言った。
「俺たち、もう卒業だな」
これが1ヶ月程前ならば、試験も受け終わらないで先を見るなと笑うところだったが、
もう目標の日が近い充と坂口にとっては、ここ数日は決戦前夜のような心境でしかなかった。
まるで戦地に向かう兵士がその先にある平和だけを見ているかのような。
充は黙って聞いていた。
「俺」
「お前といるの、すっげぇ楽しかったよ」
それはまるで最期の別れの言葉のようだった。
いつもバカなことをして、くだらないことを言い合って。
なんとなく気が合って約3年一緒に過ごして来たけれど、
そんなことを彼が口にしたのはこれが初めてだった。
それは言う必要がなかったのか、それとも改めて言うのが恥ずかしかったのか。
けれど、普段思っていても実際に言葉に出すとなんと心に響くのだろう。
「そんだけ、言っときたかったんだわ」
「うん」
返事をする必要はなかったのかもしれないが、充はちゃんと聞いたことを坂口に伝えたかった。
もうニ度と会えない訳じゃない。
でも、
充には何故か溢れそうになる涙を止めることはできなかった。
今は孤独な戦いだけれど
孤独に感じるけれど
今まで君はひとりじゃなかった
また春になったら会おう
笑顔で
また微笑み合おう
だからそれまで
雪が溶ける日を夢見て――――。
fin.